米×英
         
10.5.2          
 A prime number

「あなた、お兄さんを愛しているのですね」


狙った不意打ちが上手くいき、私は思わず笑みを溢した。
ビクリと震える肩、凍りつく背。
普段自信家の彼が、わかりやすいほど怯え、動揺している。
それは彼にとって最も脆く柔らかく傷付き易い場所。
「………菊、俺はいったいどうしたらいんだろう」
私の前を歩いていた彼は、歩みを止め、背を向けたままそうぽつりと呟いた。
おやおや、こんな彼などそうお目にかかれるものではない。
彼は私の年下の友人だ。
ついこの間高校を卒業したばかりの大学生で、日本で見かける19歳よりは大人びた、けれども まだ少年のあどけなさを兼ね備えた、可愛らしい人だ。
ただ、いつもは我侭なガキ大将といった感じで私は振り回されてばかりであり、迷惑を被ることも 少なくはないのだけど。
妬ましいほどの長身と足の長さ、メタボメタボとからかわれてはいるが、綺麗に筋肉のついた逞しい 体つきはかつて私も理想としたほどだ…すぐに無駄と知り、諦めましたけどね。
欧米の友人達と並ぶと、自らの貧相な体つきがコンプレックスだったもので。
さほど接点もなく、歳の離れた私たちが何故出会い、こうして友人関係を築くこととなったか、 その辺りの話は長くなるのでさて置きましょう。
夕焼けに染まるいつもの帰路。
オレンジ色の光を帯びた彼は、ゆっくりとこちらを向いた。
濃い金色の髪と抜けるような空の青さを持つ瞳。
彼の名をアルフレッド・F・ジョーンズと言う。
アルフレッドさんは、普段の小憎たらしい笑みを引っ込め、いつもの彼からは想像も付かないほど弱々しい 笑みを浮かべて繰り返した。
「ねぇ、俺はいったいどうしたらいい?」
その声が、笑みが、泣いているように思えるのは、夕暮れ時の曖昧さが作る影の所為でしょうか。
「俺ね、ホントに…ホントにアーサーの事が好きなんだ」
ああ、その言葉が聞きたかったのです。

アルフレッドさんは幼い頃、双子のお兄さんと共に孤児となり、英国のとある家族に引き取られたのだ という。
アーサーさんというのはその家にいた4つ年上のお兄さんとも言うべき人。
養父母が多忙であったため、アルフレッドさん方はアーサーさんに育てられたようなものなのだそうだ。
けれどもそのお兄さんと絶縁状を叩きつけるほどの大喧嘩をした挙句、高校卒業と同時に国籍地である アメリカの大学へ入学するという名目で家を出奔、仕送りどころか学費の援助も辞退し、自活しながら 今に至るという。
アルフレッドさんはこう見えて頭の回転と要領は悪くない方なので、現在は学業の傍らソフトウェアの 開発や実入りのいい土方仕事などして学費と生活費のやりくりをしている。
アルフレッドさんと話をしていると、お兄さんの話題が少なくない。
殆んどが罵詈雑言であるが、お兄さんの話をしている時のアルフレッドさんはそれはもう楽しそうで、 他では滅多に見られないような嬉しそうな顔をするものだから。
ちょっと鎌をかけてみたのだ。
その反応は上々で。
私は笑みを堪えることができなかった。
ああ、愉快愉快。
「私もね、あなたのお兄さんほどではないですが、ちょっとした魔法くらいは使えるんですよ」
興に乗った私は、帰国すれば恥ずかしくて言えないような事を言ってみた。
というか、日本でこんな事を言ったら電波扱いされるに決まってます。
でも、今は異国のトワイライトゾーン、こんな時くらいは恥ずかしい気障な台詞を言ってみてもいい じゃないですか。
「ですから、あなたも私の魔法にかかったら、素直に今の気持ちを伝えてくださいね」
菊?とアルフレッドさんが困惑したように首を傾げる、その仕草が何とも可愛らしい。
「そりゃあ、アーサーはいつまで俺を子供だと思ってるのか、今だに妖精とか魔法とか夢物語みたいな ことを言ってくるけど、君までそんな…」
電波な事を言い出すなんて…と言いかけた可愛くない口を、私は両頬を思い切り引っ張る事で遮った。
「いっ!いひゃいって!ひふぅ〜!!ごへんっへばぁ!」
体はどんなに鍛えられても、表情筋は中々鍛えられないのですよ、アルフレッドさん。
幾ら普段子供みたいだとか、女の子みたいだとかからかわれたって、私だってれっきとした日本男児、 手加減せずに頬をつねればどうです?痛いでしょう。
それに段々にモチモチした頬をつねるのが楽しくなってきました…プニプニ…ムチムチ…。
「はなひへくへほぉ〜ひふぅ!」
誰が皮膚ですか。
流石に青い瞳が涙に濡れる頃には許して差し上げましたが………。
「ひ…酷いんだぞ!菊ぅ」
爪の跡が残る、真っ赤になった頬を両手でさすりながらアルフレッドさんが涙目で抗議してきましたが、 この程度で許して差し上げたのですからむしろ感謝して欲しいくらいです。
「とにかく、夢でも見たと思って自分の気持ちを告げてみたらどうです」
それが出来たら苦労はしないんだぞ、と目を逸らして呟くアルフレッドさんに微笑し、私は携帯電話を 取り出した。

流石に未成年のアルフレッドさんを酒場に連れて行くのは躊躇われたため、普段足重よく通っている 日本でも名の知れたファーストフード店に入る。
というか、アメリカでは飲酒は21歳からのため、私が酒場に行って酒類を頼むと、毎回しつこく年齢 確認をされるのに辟易していた所為もあったのだけれども。
欧米ではアジア系は若く見られるとは聞いてましたが、こうして実際に体験すると、嬉しいよりも 悲しくなってきます。
若いというよりは子ども扱いされることの方が多いもので…まぁ、確かに日本でも私はやや童顔な方 ですが。
身分証で年齢を確認される度に、大仰に驚かれるのにもそろそろ慣れてきました、とっくに成人していて 実にすみません。
私のコンプレックスはさて置きアルフレッドさんです。
丁度夕飯時の店内はそれなりに混んでいて。
人垣の向こう、僅かに除くカウンター席を凝視したままアルフレッドさんは固まってしまっていた。
ああ愉快、こうも思い通りの反応を返してくれると、仕掛け人としても本望です。
ぽかんと口を開け、綺麗な瞳が零れ落ちん程に目を見開いて、目の前の光景が嘘か幻か確めようと するように瞬きすらせず見入っている。
カウンター席に座っている人物はまだこちらに気づいていないらしく、コーヒーか紅茶か判別しにくい ホット用の紙コップをカウンターに置いたまま、窓の外の風景をぼんやりと眺めていました。
彼のことだから紅茶でしょう。
上手く彼の目に止まらずに店内に入れた事を行幸に思いながら、かれこれ数分間身動きしない アルフレッドさんの背中をそっと押す。
「さあ、アルフレッドさん…」
声を掛けたと同時に、背に触れていた手を掴まれた。
そのまま有無を言わさず店内を飛び出し、店の隣の路地に連れ込まれる。
アルフレッドさんは私を叩きつけるように壁に押し付けると、悲鳴を上げるように叫んだ。
「君…アーサーの知り合いだったのかいッ?!!」
完全に顔色を無くしている、騙された、とでも思っているのだろうか。
彼が素直に自分の気持ちを晒したのは、私が何も知らない第三者と思っていたからでしょうから。
手加減も無く掴まれた腕は、骨が軋むほど痛かったけれども、私は何とかそれを顔に出さずに薄く笑う。
時々アルフレッドさんが「菊は笑っているけど、何を考えているかわからない」と言う笑み。
「おや、私はアルフレッドさんとお友達ですが、アーサーさんともお友達でないとは一言も言ってません よ」
ただ、静かに事実のみを告げると、掴まれていた腕から手が離れた。
力が抜けたのか、そのままアルフレッドさんは私に縋りつくような格好でズルズルと座り込む。
ジーザス…と悪態をついて、俯いたアルフレッドさんが搾り出すように声を上げた。
「俺はアーサーを傷つけたくなかった!だから離れていなくちゃならなかったのに!」
ああ、それは…どこかで聞いた言葉――――




「なぁ菊、俺、アイツが好きなんだ」
「弟なのに、アイツが好きなんだ」
「俺はアイツを危険なモノから守ってやろうと決めていたのに、その俺自身がアイツにとって最も危険 なモノだったんだ」
「アイツが家を飛び出すのも当たり前だ。俺はずっとアイツをそういう目で見てた」
「アイツが俺の事を嫌悪するのもわかる。近付くな、と言う気持ちもわかる」
「でも俺はどうしてもアイツが好きなんだ…愛しているんだ」
「アイツにとって俺が危険な存在なら、俺はいなくなった方がいいのはわかっている。でも俺には 出来ない…俺はどうしてもアイツから離れられない」
「ならば、決してアイツの傍には居られないように、いっそこの世から………」

もう何度聞いたかわからない慟哭。
そこまで思いつめるなら玉砕覚悟で想いを告げればいいものを、それを言えば
「俺はもう、これ以上アイツに嫌われたくない」
と言ってどうしようと泣き出す始末。
傍目にはわかり易過ぎるほどわかり易いお二人だというのに。
一言言ってしまえば、それで全てが丸く収まるというのに。

あ あ 、 な ん て お も し ろ い

おっと、本音が駄々漏れてしまいましたね、私としたことが。
アーサー・カークランド氏とは仕事の関係で出会いました。
業務提携の現場担当がお互いで、何度かお会いしているうちに意気投合し、こうしてプライベートでも お会いする仲になりました。
アーサーさんは少々強引な性質、というか王様気質とでもいうのでしょうか、部下に慕われてはいるよう ですが皆萎縮して遠巻きにしており、こちらで親しい者も無く、きっとお寂しかったのでしょう。
それに加え、異国で更に外国人という私に箍が外れたのか、旅の恥はかき捨てとでもいうように、次第に 内面の深いところまで話して下さるようになりました。
但し、ある程度お酒が入ったところで、という条件付ですが。
そして、話すことは大概が留学した弟の話でした。
慈しみ、大切に育ててきた可愛い弟。
やがて自分背を追い抜いた彼を、いつからか男として見ていたこと。
最初からかもしんねーな、とほうと酒気を帯びた息を吐いて言ったものです。
「ずっと、家の子じゃないからって変な風に捻くれたりしないよう、俺はずっとアイツの事を家族として 精一杯愛していた」
でもそれは、家族ではなく他人であると意識しているも同じ事。
そして弟が思春期に入り、次第に衝突が増えていき…やがて高校卒業と同時に家を飛び出して行った のだという。
しかし、家からの一切の援助を断り一人海を渡った弟の事が心配で堪らず、無理を通してこちらの 支社に海外転勤してきたのだ、とも。
弟にはまだ会ってねぇ…と、彼は小さく笑った。
「弟がどこに住んでいるのかもわかんねぇし、アイツだってこんなトコまで追っかけて来られりゃ引く だろうし、何より…今会ったら俺が何しでかすか、自分でもわからないんだ」
そしてまた、この世の終わりみたいな顔で、あの絶望の言葉を繰り返すのです。
何はともあれ、最近のアーサーさんは悲観的な思考が輪をかけて激しくなっており、流石にここらで 手を打っておかないと最悪の事態になりかねない。
仕方ない、アーサーさんはこういう方なので、彼の方に動いてもらいましょう。
幸せ絶頂のバカップルの惚気は面白くないのですが、ここで終わってしまうのは尚面白くない。
まぁ、このお二人の事、このままで済むはずはないでしょう。
これからも愉快な波乱万丈を提供してくださいね。
さぁ、そろそろアーサーさんを慰めて帰路につきましょうか、そろそろ店内の視線も居心地悪くなって きましたし。
ああ、もう、私がイヂメているわけではありませんよ!

苗字は違うし、どちらもよくあるお名前だから別人だと思いたかったのに、どうして同じような話を 双方から聞くのでしょう。
ちょっとネタ…いえ、お話を聞いているだけで充分でしたのに。
ですが、最近のアーサーさんの思いつめぶりは見ていて痛々しいですし、アルフレッドさんも時々 爆発したように狼藉を働くことがあります。
お互い想像で自己完結して堂々巡りしているところは流石ご兄弟といったところでしょうか。
ですがこのままでは最悪の終わりしか見えないのは確か。
どんな巡り合わせか、ここは私が一肌脱ぐしか打開点は見つからないじゃないですか。
本来は他人が口出しすべき事ではないのを重々承知のうえで、けれどもきっかけが無ければ閉じて しまった世界が動き出さない事も事実で。
では、せめて小石が雪崩を起こす程度のきっかけくらいにはなりましょうか。
但し、私のきっかけは少々荒療治ですよ?




「俺が一体何のためにあの人から離れたと思っているんだい!」
それは、血を吐くような叫び。
傍にいたい、いられない、その相反する想いが心を軋ませているのでしょう。
「ご自分を弟として見られたくなかったから、でしょう」
楽しくなってきて、アルフレッドさんから見えないのを承知で私は口の端を歪め、笑みを浮かべたまま 答える。
「意識させて、アーサーさんに一人の男として見てもらいたかったからでしょう」
甘ったれた理由を彼の上から浴びせると、その身が小さく身じろいだ。
それは図星でしょう、間違いなく、アルフレッドさんが意識していたかどうかは兎も角として。
「………違う」
否定する声は、アルフレッドさんらしくない弱々しいものだった。
恐らくご自分でも否定しきれないからでしょう。
彼が否定した訳―――ええ、もう一つの理由ですね。
わかってますよ、でも、それはあなたの口から言って欲しいのです。
「俺は…アーサーを押し倒して、ムリヤリにでも抱きたかった。実際頭の中では何度犯したかわからない…でも、 実際にそんな事をすれば、アーサーは裏切られたと思って傷つくに決まってる。俺は…昔、誓ったんだ。 親を失った俺達を愛してくれた彼を守るって…。結局ひどいケンカして、逃げ出したけど…、でも、 あのままじゃ俺はいつか…最悪の形で彼の信頼を裏切って、もっと酷く傷つけてた筈だから…」
悲痛な声でアルフレッドさんは神にするように私に告白する。
ねぇアルフレッドさん、実は私、このお話のオチは読めているのです。
ですけど、トゥルーエンドを迎えるには、最後の選択史を間違えてはいけません。
今まさに、言葉を誤れば一転最悪のエンディングを迎えることにもなりかねない山場なんですよ。
ヒントは唯一つ。
「さっき言いましたよね、私の魔法が掛かったら素直になってください、と。その言葉、アーサーさんに 伝えてみては如何でしょうか」
菊ぅ?と情けない声を上げて、涙に濡れた青い瞳が見上げてくる。
実家に置いてきた愛犬を思い出して、うっかり情を動かされた私はちょっとヒントをオマケして 差し上げようかという気にもなってくる。
甘いですね、私。
「ねぇアルフレッドさん、つい先程電話して今ここにいられるくらい、ロンドンは近いのでしょうか」
余りの動揺に今の今まで気づかなかったらしい。
漸く気づいたのか、彼は目を見開いて私を見返した。
私はいつものように薄く笑う。
「菊…」
今だ思考の海に捕らわれているのか、ぼんやりとしているアルフレッドさんをよいしょと立ち上がらせて…。
ウェイトが全然違うのでちょっと苦労しましたけれど。
膝についた砂を払ってあげる。
それから、先程のようにそっとアルフレッドさんの緊張に固くなっている背中を押した。
「いいですか、素直に、ですよ?」

登場人物は互いの気持ちを知らない。
けれど第三者(プレーヤー)は知っている。
だからこそ読める先の展開。
ここから先は私の出番はないでしょう。
後は勝手に進むイベントシーンだけ。
だから私がこのお話を紡ぐのはこれでお終い。
ここから先は、きっとこれからも周りを振り回すであろう二人に委ねられている。
先はバットエンドか、トゥルーエンドか…。


決意したように小さく頷き、駆け出したその背を、私は手を振って見送った。




K家姉

タイトルが思いつかなくて「割り切れない想い」って意味で「素数」をヤホー翻訳で英語にしてみた(笑)。
みんなタイトルってどうやってつけてるんだろう、お題サイト?
神視点の菊が書きたくて書きたくて仕方なくなって書いたお話。
菊が好きです!大好きです!
たまにはべーえーに振り回されるんじゃなく、振り回したっていいじゃないかー!
…というのが伝われば幸いです。
プロットに直接肉付けしていったので、菊様のテンションの上下が著しい一本(笑)。


ついでに島国好きな私が、菊がアサを呼び出した時のやり取りを妄想してみる。

「え?菊にしては珍しいところに呼び出すな。…あ、いや、別にハンバーガーが嫌いなわけじゃ無くて、 実は結構好きだけど…。じゃあすぐ行くから…って、別に寂しかったりとか暇だったわけじゃないからな! 夕飯時で腹が減ってるだけでお前の為なんかじゃないんだからな、勘違いするなよ!」
(本当に、アーサーさんは本音駄々漏れで可愛らしい方ですね…フフフ)
「菊、電話終わったのかい?随分楽しそうだったじゃないか」
「ええ。さぁ、全ての段取りが整いましたので、私達も行きましょうか」
「???」